私はこれまでそれなりに努力してきたと思います。しかし、その努力には「努力のための努力」「不安を消すための努力」的要素が多分にあったと感じています。
第二次大戦終戦前後に生まれた父と母はそれぞれ貧困の中で育ち、我慢や努力を美徳として大人になり、必死に生きてきたと思います。そのような両親が、自分の子供に我慢や努力を美徳として教育するのは当然とも言えます。しかし、必然性や目的のない我慢や努力は人を幸せにはしないだけでなく、不幸にしてしまうのではないでしょうか。
これまで、私は主に不安から「学歴を得るための努力」や「仕事の能力を伸ばすための努力」はしてきました。努力をしていればなんとなく幸せになれると思っていました。しかし、そうではありませんでした。これからは本気で「幸せになるための努力」をしていきたいと思います。